Development story(1)

開発ストーリー「山のきぶどう」

山ぶどうとの偶然の出会い

日本初の山ぶどう無添加100%ストレート果汁「山のきぶどう」は、創業者・佐々木幸吉と山ぶどうの偶然の出会いから誕生しました。昭和15~17年頃、幸吉が久慈の山間部を行商していた時にある農家で出産に遭遇。無事出産後に産婆さんが「生まれたよ、早くきぶどう(山ぶどう)を飲ませなさい」と言った言葉を聞き、幸吉は「山ぶどうというのは身体に良いものなんだな」と思ったそうです。そして、なんとかして山ぶどうを商品化したいと考えたのが開発のはじまりです。

 

山ぶどう果汁飲料から開発スタート

戦後、幸吉は近隣から山ぶどうを買取り、麻袋に入れ重しをかけて搾り出し、山ぶどう果汁づくりに着手。その原料を使用して1955年(昭和30年)、果汁10%の「光泉山葡萄」液を開発しました。果汁を割る水は工場敷地内に井戸を掘り、そこから湧く地下水を利用。地下水を覗くと水が「キラキラ光って見えた」ことから「光泉」と名づけました。地下水は硬水ですが、ミネラル豊富で飲料等の加水にうってつけの水質で、現在でも製品に使われています。

 

妊婦さんの要請で100%ストレート果汁開発へ

戦後も遠くなった1970年(昭和45年)頃、「山ぶどう原液を譲って欲しい」というお客さまが増え、その多くの方が病院の先生に「山ぶどう原液を少しずつ飲みなさい」と勧められた妊婦さん達でした。この言葉をきっかけに幸吉は行商時代の出来事を思い出し、山ぶどう果汁100%飲料の開発に踏み出しましたが、その道程は苦難の連続でした。一房搾っても果汁は100mlにもならず、さらに搾った果汁の強烈な渋みと酸味。課題は山積でした。

 

独自製法で味と効能を両立させ「山のきぶどう」発売

それでも、「山ぶどうの味と香りを一切変えず、添加物を加えず、アルコールなしの100%果汁飲料を作りたい」という熱意は冷めることなく、試行錯誤を続ける毎日でした。そして、ついに発酵させず3~5年熟成貯蔵した果汁が、渋み・酸味ともに調和がとれ山ぶどう特有の風味を醸し出すことを発見。しかも、その果汁には鉄分・カルシウム等のミネラルが普通のぶどうの6倍以上も含まれていることが分かりました。まさに、大自然からの贈りものでした。1971年(昭和46年)、ついに日本初の山ぶどう100%ストレート果汁を発売、「山のきぶどう」と名づけました。清涼飲料製造を始めてから約20年の歳月が流れていました。

 

効率ではなく品質にこだわる商品づくりを今も。

「身体に良い飲料でも美味しくなければ売れない」という幸吉の信念のもと、強い酸味の元である酒石酸を3年かけて自然沈殿させることで、豊富に含まれる栄養成分を損なうこと無く風味をまろやかにする技術を確立。以来、現在でも当時と同じ製法を愚直なまでに守って「山のきぶどう」は作られています。自社農園と契約栽培の岩手産山ぶどうのみを使い、収穫した山ぶどうを丁寧に搾り、その果汁をじっくり真空状態で熟成させ、一切の添加物を加えずジュースにする。ここまでこだわって商品づくりをしているのは全国でも佐幸本店だけです。

搾汁された果汁

広大な園地

色づく前の山ぶどう