パイオニアとして、さらにその先へ。

佐幸本店の歩みは山ぶどうのさらなる可能性を拓く道のりです。

山ぶどうとともに70年

株式会社佐幸本店は1937年(昭和12年)岩手県久慈市に創業。以来、「山ぶどうの加工を専業とする食品メーカー」として、日本初の山ぶどう無添加100%ストレートジュース「山のきぶどう」をはじめ、飲料や食品を通して山ぶどうの素晴らしさをお届けしてきました。

また、2016年(平成28年)には世界で初めて山ぶどう樹液を製品化した天然化粧品原料「山のきぶどうクリスタルサップeco」を発売、新たに化粧品事業にも参入を果たしました。

佐幸本店のある久慈市は岩手県最北部、北上高地を背に雄大な太平洋に面する自然豊かな街です。海山の豊富な天然資源に恵まれ、日本一の産出量を誇る久慈琥珀は世界的にも有名。また、天然のアワビやウニを獲る「北限の海女」は、NHK朝の連続小説「あまちゃん」のモデルとなりました。そして、久慈を代表する農産品が「山ぶどう」で、今では日本一の生産量を誇ります。この地域の山ぶどうの歴史は古く、700年以上も前から深山に自生する山ぶどうを採ってきて酒を作り、薬代わりに飲む習慣がありました。創業者である父・佐々木幸吉が滋養強壮に山ぶどうを利用するこの地域の文化と出会ったことが、佐幸本店の今を築く礎となりました。

 

パイオニアとして未知の世界に取り組む

山ぶどうに惚れ込んだ幸吉は「山ぶどうの恵みを届ける」との信念の元、独自製法を開発して1971年(昭和46年)に「山のきぶどう」を発売。同時に将来の原料不足を見越して自社農園も作りましたが、その後の道程は決して平坦ではありませんでした。幸吉はじめ社員の誰も農業経験がなく、ぶどう栽培の指導書を読み漁ったものの山ぶどうに関する記述もいっさいなし。試行錯誤の連続というよりも暗中模索のまま10年が過ぎました。また、「山のきぶどう」発売時は高度成長期の真っ只中で日本が豊かになろうとする時代でしたが、当時100円で飲料が買えた時代に300円の「山のきぶどう」を買ってくださるお客様はなかなかいませんでした。しかし、「身体に良い商品が売れない訳がない。もっとしっかり売って来い」と言う幸吉の言葉に、商品の良さを訴え地道に営業する日々が続きました。そして発売から15年、1986年(昭和61年)頃から日本中に健康食品ブームが到来、既に各地の百貨店の物産展に出店していたこともあり、全国のお客様から注文が相次ぐようになりました。これまでやってきたことが報われたとともに、「お客様にとって必要な商品ならば、きっと受け入れてもらえる」と実感することができました。

 

山ぶどうのさらなる可能性を拓く

その後、ジュースやジャムなど山ぶどう商品のラインアップを増やしながら、2005年11月(平成17年)に「完熟山のきぶどう」を発売。このジュースは収穫時期を遅らせ完熟した実だけを搾ったもので、「山のきぶどう」に比べ甘みが強くまろやかな飲み口が特徴です。関西や九州地域の山ぶどうになじみのないお客様の「美味しいし身体に良さそうだけれど、もう少し甘みの強いジュースができないかしら?」と言うご要望を受けて開発したもので、山ぶどうの味に慣れ親しみ、「山ぶどうとはこういうものだ」と思い込んでいた私たちに大いなる気づきを与え、常にお客様のご要望に応えていく大切さを教えてくれた商品となりました。

さらに、2016年(平成28年)には開園以来有機無農薬栽培を続ける自社農園の山ぶどうから採取した樹液を化粧品原料として製品化、新たに化粧品事業に進出を果たしました。まったくの分野違いに進出できたのも、強い抗酸化力を持つ山ぶどうポリフェノールの産学官連携研究をはじめ、山ぶどうが健康・美容素材として大きな可能性を持つからに他なりません。久慈の地に創業した企業として、日本のスーパーフルーツである山ぶどうの恵みをお客様にお届けすることが佐幸本店の使命です。これからも山ぶどうのさらなる可能性を拓き、「山ぶどう美健創造企業」として歩んでまいります。

 

代表取締役会長 佐々木茂